アーティストの思い

チームラボはなぜ「境界のない世界」を目指し続けるのか

チームラボ代表・猪子寿之と、評論家・宇野常寛との対談からチームラボプラネッツを読み解きます。

これは、チームラボ代表・猪子寿之と、評論家・宇野常寛との4年間に及ぶ対談による書籍「人類を前に進めたい チームラボと境界のない世界」から、チームラボプラネッツについて語っている部分を転載しています。


猪子寿之, 宇野常寛『人類を前に進めたい人類を前に進めたい チームラボと境界のない世界』2019年 PLANETS/第二次惑星開発委員会, 2019, p.230-241 (CHAPTER 14 人類を前に進めたい)

人類を前に進めたい

 2018年に始まった「チームラボプラネッツ」は、「Body Immersive」な巨大な作品の中に身体ごと没入することによって、身体と作品との境界を曖昧にし、自分と世界との間にある境界の認識を揺るがすことを目指しました。裸足になって超巨大な作品空間に、他者と共に、身体ごと、圧倒的に没入する。人は都市の中では、自分は独立して存在できていると錯覚しがちです。自分と世界との間に境界があるかのようにすら思ってしまう。しかし本当は、そこに境界はなく、自分の存在は世界の一部であり、世界は自分の一部であるのです。(猪子寿之)

『意思を持ち変容する空間、広がる立体的存在』(Photographer:今城純)

遊び心と体感的な没入がもたらす 「チームラボらしさ」

――2018年夏、豊洲で「チームラボプラネッツ」(以下「プラネッツ」)が始まった。宇野はさっそく展示を体験し、その感想を猪子と語り合う。

宇野 「プラネッツ」、すごく良かったよ。個人的にはお台場の「チームラボボーダレス」(以下「ボーダレス」)よりも、こっちのほうが好きかもしれない。

猪子 へえ!

宇野 もちろんこの二つは規模も違えば目的もそもそも違う。「ボーダレス」はチームラボがここ数年やってきた屋内でのインスタレーションのアートの集大成で、「プラネッツ」は2年前の「DMM.プラネッツ Art by teamLab」(以下「DMM.プラネッツ」)のアップデートで、「ボーダレス」に比べれば小さい。「ボーダレス」は半日かけても回りきれないから全部観ようと思うと2~3回は行かなきゃいけないけど、「プラネッツ」は2~3時間あれば全部観られる。でも、後者のほうが遊び心があるよね。普通に考えたら「ボーダレス」のほうがド本命なんだろうけど、僕は「プラネッツ」の実験性も捨てがたい。

猪子 「プラネッツ」では世界と自分との関係を考え直させるような作品を一個一個つくって、とにかく圧倒的なクオリティで没入させるようにしているんだよ。

宇野 いや、本当にそうで。前章で話した「『作品と作品』『人間と人間』『人間と作品』 という三つの境界の撹乱」という話でいえば、「プラネッツ」は「人間と作品」のところに特化しているところが面白い。
 僕なんか、そんなに他人と融解したいなんて思ってないし、批評家だから作品同士をつなげて考えるのは、作品にやってもらわなくても自分でできるからさ。でも、自分でできないのは、自己と世界、この場合は鑑賞者と作品との境界線がなくなって、作品に没入することなんだよ。

豊洲に広々と構える「チームラボプラネッツ」。
『やわらかいブラックホール』©teamLab
『坂の上にある光の滝』©teamLab

猪子 なるほど、面白い。

宇野 一個一個の作品で、どうなるかわからないけど遠くにボールを投げてみようとしていると感じたのは「プラネッツ」のほうなんだよね。だから、僕にとっては「プラネッツ」のほうが刺激的だった。
 たとえば「ボーダレス」は、入り口にメッセージが言葉で掲げてあって、ここから先はチームラボの演出する「境界のない世界」だってことを宣言するんだけど、「プラネッツ」はそんなお行儀の良いことはしないで、いきなり鑑賞者を水の中に入らせるとか(『坂の上にある光の滝』)、クッションの中を弾ませるとか(『やわらかいブラックホール』)、2016年の「DMM.プラネッツ」でやっていたことのパワーアップバージョンなんだけど、「ここから先は完全に別世界ですよ」「警戒心を解いていいんだよ」ってことを問答無用で体感させる。こっちのアプローチのほうがチームラボらしいと思う。

『The Infinite Crystal Universe』の中でしゃべる2人。深夜の撮影で疲れ気味だが、話は尽きない。(Photographer:今城純)
『The Infinite Crystal Universe』©teamLab

猪子 あのメッセージはね……「ボーダレス」はあまりにも新しい概念すぎて、関係者内覧会でクレームの嵐だったの。「地図はないのか!」って。だからメッセージを置いて、ここは今までとは概念が違うんだってことを強く示しておかないと、もう苦情だらけだから。

宇野 それ自体がコンセプトだとわかってもらえなかったわけか。普通に迷うし、どこに何があるかもわからないから、特定の作品を観ようとしてもできないしね。「ボーダレス」も、あれはあれですごく良いんだけど、「プラネッツ」では問答無用で、しかも視覚だけじゃなくて触覚に訴えかけて入っていくところに感心した。
 やっぱり問答無用で水の中に放り込む、くらいのほうが逆にいいと思うんだよ。というか、アートとしてはむしろそれが正しいと思う。この「プラネッツ」は触覚に訴える作品が多いけれど、視覚や聴覚以外の触覚や嗅覚といった人間の五感をハックすることで没入感を上げる表現には、まだまだ伸びしろがあると思ったね。
 あと、「プラネッツ」の『The Infinite Crystal Universe』(以下『ユニバース』)は、今までの中でもダントツに完成度が高いと思う。

猪子 そりゃそうだよ(笑)。

『The Infinite Crystal Universe』
『The Infinite Crystal Universe』

宇野 つくっている本人は「そりゃそうだ」 って感想かもしれないけどさ、過去にいろんなバージョンの『ユニバース』を観てきた僕からすると、やっぱり隔世の感があるよね。
 以前からずっと言っていることだけど、『ユニバース』って部屋の広さが肝なんだよね。人間の想像力が勝って「この先に壁がある」 と思われたら、空間の中に人間が飲み込まれてしまうような錯覚を起こさなきゃいけないタイプの作品は機能しない。やはり作品への没入感を出すためには、人間に空間を正確に把握「させない」工夫がいる。そのためにはどうしても『ユニバース』には「広さ」がいると思う。あれはまさに規模が質を担保している作品で、あの鏡張りの天井の高さと敷地の広さによって、本当に完成度が高くなっている。猪子さんが表現したかった没入感は、あれぐらいの規模があって初めて成立するんだなと思った。

『意思を持ち変容する空間、広がる立体的存在』©teamLab
『意思を持ち変容する空間、広がる立体的存在』©teamLab

色のハックと密度のコントロールで 没入感をつくる

宇野 一番良かったのは『意思を持ち変容する空間、広がる立体的存在』だね。一見、カラフルな球体が鑑賞者に反応していって、空間全体の色と音が変化するというタイプの作品なんだけど、意外といろいろな実験が試みられていて、ものすごく刺激的だった。
 特に、色の変化の中で一瞬、目の前の視界が原色に覆われて空間がまるで平面のように見えるという仕掛けが良かった。

猪子 すごいでしょ、あれ。あの色は実はランダムではなくて、空間をより立体的に感じやすい色と、空間を平面化する色をつくって、どの色からどの色に変わるかもそれぞれ確率で限定してあるの。それで、空間がいきなり平面化するような現象をつくっているんだ。

宇野 もう少し具体的に言うと、一瞬平面のように見えたものが、また色が変わることによって、もう一回、立体に戻っていく感覚が面白いよね。
 これは落合陽一さんが言っていたんだけど、人間は目で見たときに遠くのものは二次元、つまり平面的に見えると。だから「風景」という言葉が存在する。人間が遠くにあるものには立体感を感じない、あの現象を近くで起こすことによって、逆説的に、すべてのものに奥行きがあると印象付ける効果があると思うんだよね。パッと平面に戻っても没入感がすごいんだよ。まだまだ発展途上というか、もっと改良できると思うけど、すごく良いアイデアだと思う。

『意思を持ち変容する空間、広がる立体的存在』©teamLab
『意思を持ち変容する空間、広がる立体的存在』©teamLab
猪子の説明のもと、球体を跳ね上げ、色を変えて遊ぶ。

猪子 平面と空間と立体、それと没入みたいなところには、ずっと興味があったから。これは色のハックだよね。ある色からある色に変化させることで、脳が空間が平面だと感じてしまう。そして、次の瞬間また空間の立体を認識する。

宇野 遠くのものを平面的に見て、近くのものを立体的に見ている人間の視覚情報の整理機能を、一回殺すわけだよね。そのことによって、より空間への没入感を高めていて、非常に効果的だと思う。まさか色のコントロールだけであれほどのことができるとは思わなかった。
 あとは、ボールが場所によって上のほうに集まったり下のほうに集まったりするアイデアも、すごく良かった。

猪子 あれは空気の密度をコントロールして、気圧を変えることで球体を上下させてるの。

宇野 密度は僕らの世界認識に決定的な影響を与えているけど、なかなかその存在を意識することはないし、それをコントロールしてアートをつくろうとは思わない。

猪子 「密度が世界観に圧倒的な影響を与えている」というのはどういうこと?

宇野 そもそも人間が砂漠と森を何で区別しているかといえば、究極的には密度だよね。都市と村落も、密度で判断している。つまり、植物が高い密度で生えていると森で、人間や人工物が高い密度で存在していると都市になる。人間は空間単位の濃淡で世界を区別しているんだよ。
 でも、それはあまり意識されていないし、密度はコントローラブルなものだとは思われていない。しかし、この作品で色とか密度って、一見そんなに没入感に関わってないように思えるけど、実は大きく関わってるんだって教えられたよ。密度のほうは理屈で考えたらわかるけど、色彩のほうは本当に体験してみないとわからない。人間の目の構造や、脳による視覚情報の処理の問題だからさ。

本書の撮り下ろし撮影中、写真を確認しながら、球体と一緒に青く染まる2人。 (Photographer:今城純)
『人と共に踊る鯉によって描かれる水面のドローイング』に入っていく猪子。

「寝転がる」大事さ

宇野 最後の『Floating in the Falling Universe of Flowers』は、世界観を表現しているだけと言えばそうなんだけど、ああいう作品があると安心するよね。これまで体感してきたものをビジュアルでストレートに表現している。僕は『Black Waves』を好きなのとまったく同じ理由で、最後にこの作品があることが適度な自己解説になっていて、良いと思った。単純な仕掛けだけど、よく考えられているよね。立ち上がったときにまっすぐ歩けないもん。

猪子 (笑)。

宇野 「寝転ばせる」ってシンプルだけど大事だよね。有名な話だけど、リーンフォワードとリーンバックっていう姿勢があって、たとえばパソコンを使うときは前傾姿勢のリーンフォワード、テレビを観るときは後傾姿勢のリーンバックになるんだけど、前提としてこの両者では能動性が違う。それで考えると、近代的なアートは基本的に立った状態で、ある種の意識を集中させて、目を凝らして観るものなんだよ。それは脳の一部を極度に使うことを意味しているんだよね。だから、寝転がってだらんとしてるときにだけ解放されている回路もあるはずなんだよ。そこに訴えかけるアートは、本来もっとあっていいはずで。すごくシンプルだけど「寝転ばせる」というのは、アートにできることの範囲を決定的に拡大してると思う。
 猪子さんと一緒に会場に行った日も、すごくカップルが多かったじゃん。あそこでカップルたちがだらんと弛緩して2人だけの世界をつくってイチャついているのって結構いいことだと思っていて、あれは「プラネッツ」 だからできたことだと思うんだよね。あんなふうにリラックスして観るアートがあってもいいと思った。

猪子 まあ、「ボーダレス」の『追われるカラス、追うカラスも追われるカラス、そして浮遊する巣』(以下『カラス』)でも、寝かせるようにしているけどね。

宇野 でも、「プラネッツ」のほうがその傾向が強いじゃない。「ボーダレス」では、みんな「すごいものを観よう」って思っているよね。

猪子 思っている。『カラス』も吊り橋みたいなところを移動して、寝るまでが冒険だもんね。

宇野 普通に怖いじゃん。

猪子 怖い(笑)、落ちるんじゃないかって。冒険だよね、あれは。

宇野 アクティブな人間を想定したものでは「ボーダレス」はすごく完成度が高いんだけど、チームラボの魅力は「さあ今からアートを観に行きます!」って気合いが入ってない状態とか、前のめりにならなくても楽しめる領域を開拓しているところで。立って集中して観るものじゃなくて、だらんと寝転んで楽しめるものをちゃんとフォローしているところだと思うんだよね。

猪子 ふふふ。面白い。

宇野 変な話だけど、評論が書きやすいのは圧倒的に「ボーダレス」だよ。メッセージもはっきりしているし、わかりやすい斬新さだよね。でも本当に実験的で、チームラボにしかできないことをやってるのは「プラネッツ」じゃないかな。本当は、御船山(「かみさまがすまう森」)も合わせて観てほしいんだけど、御船山まで行けないという人は、「プラネッツ」と「ボーダレス」をセットで観てほしいな。
 それにしても本当に、この三つを同時に、しかもバラバラなことをやっているのがいいよね。猪子さんって、本当に欲深い男だよ。

『Floating in the Falling Universe of Flowers』©teamLab
人類を前に進めたい チームラボと境界のない世界
猪子寿之、宇野常寛
2019.11.21
3080円(税込)